2025-08-15 配信
終戦の日にも訪れるひとはなく…忘れられつつある戦没者慰霊塔も(福島)
いわき市の江名港の高台に佇む、戦没者の慰霊塔。
第二次世界大戦中に江名港から漁に出てアメリカ軍に撃沈された漁船の乗組員など、戦争で命を落とした約100人の名前が刻まれています。
しかし、周りには草木が生い茂り、終戦の日の15日も訪れる人の姿はありませんでした。
江名区代表区長の金成克哉さんは「慰霊碑を訪れる人は現在は全然いない。戦没者の家族の世代、自分たちの親たちがいなくなり、2代目、3代目になってから行く人はいない」と話します。
金成さんによると、遺族の高齢化が進み、慰霊塔を訪れる人は約10年前からほとんどいません。
慰霊塔の存在を知らない世代も増え、父親の実家が江名地区にあるという30代の男性も「慰霊塔を初めて知った。絶対、残していかなくてはいけないと思う」と話します。
江名地区では、管理していた遺族に代わり、年に1回、慰霊塔の周りの草刈りなどを業者に依頼しています。
「慰霊塔を草が生えたままにせず、忘れないでほしい」と願う金成さん。
県遺族会によりますと、県内には戦没者の慰霊碑や慰霊塔が約520基ありますが、遺族の高齢化などで維持や管理が難しくなり、移設・集約される傾向が強まっているということです。
第二次世界大戦中に江名港から漁に出てアメリカ軍に撃沈された漁船の乗組員など、戦争で命を落とした約100人の名前が刻まれています。
しかし、周りには草木が生い茂り、終戦の日の15日も訪れる人の姿はありませんでした。
江名区代表区長の金成克哉さんは「慰霊碑を訪れる人は現在は全然いない。戦没者の家族の世代、自分たちの親たちがいなくなり、2代目、3代目になってから行く人はいない」と話します。
金成さんによると、遺族の高齢化が進み、慰霊塔を訪れる人は約10年前からほとんどいません。
慰霊塔の存在を知らない世代も増え、父親の実家が江名地区にあるという30代の男性も「慰霊塔を初めて知った。絶対、残していかなくてはいけないと思う」と話します。
江名地区では、管理していた遺族に代わり、年に1回、慰霊塔の周りの草刈りなどを業者に依頼しています。
「慰霊塔を草が生えたままにせず、忘れないでほしい」と願う金成さん。
県遺族会によりますと、県内には戦没者の慰霊碑や慰霊塔が約520基ありますが、遺族の高齢化などで維持や管理が難しくなり、移設・集約される傾向が強まっているということです。